小田嶋隆

日本人が過去を美化する時、われわれは、いつも同じ間違いを犯す。わたしたちは、軍隊を美化し、特攻隊を美化し、白虎隊と忠臣蔵と楠木正成を美化する。そして、二・二六事件を美化し、爆弾三勇士を美化し、なんであれ盲目的に目標に向かって突っ走った若者たちの純粋さと、その彼らの死と破滅と悲しみと切なさを美化することになっている。必ずそういう手順で話が進むのだ。だからこそ、私は、そのバカげた手順と結末に懸念を抱かずにはおれないのである。 日本を取り戻そうとしている人たちは、必ずや、五輪を通じて、日本人が一丸となって生きていた遠い伝説の時代を取り戻そうとする。そして、その運動は、ほぼ間違いなく、同じ失敗に帰結する。 ** 当時大松監督がチームのメンバーに言ったとされる「俺についてこい」というセリフは、国民的な流行語になった。言葉だけではない。「鬼の大松」と呼ばれた大松氏の指導方針や、人間観や、物腰やしゃべり方のすべてが、国民的な歓呼を持って迎えられたと言って良い。 あの、「大松ブーム」の広範さと影響力の大きさは、いまの人には、わかってもらいにくい部分を含んでいる。というのも、あれは、単純な流行というよりは、日本陸軍的な何かへの郷愁と揺り戻しを含んだ、明らかに反動的な国民運動に似たものだったからだ。 大松ブームの具体的な内容は、大松氏が、全日本女子バレーチームならびに、その代表にほとんどの主力選手を供給していたニチボー貝塚という企業のバレーボール部の監督として実践していた「シゴキ」という指導法のブームでもあった。